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MADLAX解析日記

 【ストーリー】
 内戦の続くアジアの小国・ガザッソニカで活躍する凄腕のエージェント、マドラックス。ガザッソニカの旧宗主国とおぼしきヨーロッパの大国ナフレスでひっそりと暮らす少女マーガレット。古代の言葉で描かれた謎の「絵本」が、無関係のはずの二人の世界を結びつけ、私たちの世界の裏側に潜む「もうひとつの世界」が不気味に顔をのぞかせ始める…

 【現況での総論】
 目下、ネット上で賛否両論が飛び交っているこの作品だが、なかなか一筋縄ではいかない。そもそもストーリーからして、本当に上記のようなものなのか、いささか心もとない。毎回クルクルと印象が変わるストーリー展開で、視聴者は「確実なものなど何もない」ことを思い知らされる。演出が出たとこ勝負なわけでも、破綻しているわけでもなく、前回までの設定を常に否定し、つき崩しながら進んでいるような感じなのだ。

 というわけで、真下の最新作は、真にやっかいな「食えない」ものである。視聴者は、常に作品と真剣勝負を迫られる。暇つぶしのつもりでぼんやり見ていたら何も分からないだろうが、常に過去のストーリーと照合し繰り返し細部をチェックしながら見進めていく限りにおいては、かなりの収穫が得られるはずだ。

 ここでは、リアルタイムで視聴しながら書いていったノートをもとに、「現状分析」を積み重ねていくことにしよう。では第1話より…

第1話「銃夢-dance-」
 マドラックス登場の第1話は、派手なガンアクションが満載。カクテルドレス姿で目をつぶったまま相手を打ち倒していくシーンに銃マニアから「リアルのかけらもない」と非難の声が殺到したようだが、私はまったく気にならなかった。ここは、上・下、左・右、手前・奥、静・動と対になった構図を組み合わせてめまぐるしいベクトル運動を画面の中に作り上げた真下演出の妙味を味わいたい。リアリズムよりも画面の美しさを優先させた作風。これは、アニメ版鈴木清順の世界なのだ。

第2話「紅月-crimzon-」
 相方の主人公・マーガレット登場。こちらはかなり電波系なテンションの低いお嬢様。武闘派毒舌家のメイドさんエリノアや、いじめられ役お姉さまヴァネッサ、そしてミレイユの叔父(違う)が次々と登場。メインキャラ総出演という意味では、むしろこちらの方が第1回っぽい。そして、今回のストーリーの鍵を握るジョーカー役のフライデーも早くも登場。「NOIR」でいうところのアルテナの役どころなのだろうが、かなりヘンタイ入ってる(笑)それを嬉々として演じるのが真下世界の代弁者、江原正士というのがいかにも、なのだが。両者の信頼関係がよく感じられるキャスティングであろう。

第3話「蒼月-moon-」
 「.hack」風の群像劇として進むマーガレットのパートとは対照的に、あくまでエージェントものの正道を行くように作られるマドラックスのパート。今回はストイックにほとんど銃撃戦のない暗殺指令。それでも、かなりひねくれた構成になっているのは確かなのだが。リアルな銃描写は、今回もない。というか、真下ははっきりとセックスの代替物として銃を描いている。だから、ターゲットが撃たれる直前に恍惚たる表情を浮かべるのも当然のこと、ということになる。撃つ方と撃たれる方、男と女の立場が逆転しているのが、この作品の面白いところだろう。

第4話「誘惑-ask-」
 再びマーガレットのパート、なのだが、マーガレットはむしろ狂言回し。ある殺人事件とそれを追う刑事、というストーリーを中心に据え、一種のミステリ的演出が施されている。(ここからネタばれ)だが、結末に至って一種「エンゼルハート」的なアンチミステリへと転化し、ホラータッチの結末を迎える。それは、マドラックスの最大の敵らしい秘密結社アンファンの謎めいた活動へと回収され、視聴者が呆然としているうちに終わってしまう。ここにいたり、私たちは何か得体の知れないものを見ているのではないかという気分に陥る。

第5話「無在-zero-」
 マドラックスのパートは相変わらず正道のエージェントものスタイルで進む。今回も「指令」の定番、「中身の分からない積荷の確保と移送」。(ここからネタばれ)ミレイユの叔父(だから違うって)との対決など、見所は多いが、実は最後の最後、マドラックスの預かり知らぬところでフライデーが登場し、今回のサブタイトル通り、すべてをゼロに戻してしまう。エージェントものの世界に、何か別の世界が侵入している不気味さを残し、エピソードは幕を閉じる。

第6話「遺言-leave」
 なぜエリノアはこんなにもマーガレットに尽くすのか、を描いたマーガレットメインのエピソード。前回の予告編にチラと紹介されていたので「戦闘メイド」さんへの期待で、一部視聴者の妄想は膨れ上がっていたようだ(笑)。しかし真下の描き方はいささか意地が悪い。マーガレットにちょっかいをかけた少年をボコボコに叩きのめすエリノアのメチャクチャな強さは一種異様で、戦闘メイドアンドロイドのような印象すら受けてしまう。エリノアは「一途」というよりは、完全に「ヘンな人」になってしまっている。これは、真下なりの「戦闘メイドさん」への悪意を込めた演出ともとれる。「ヘンな人」なら、それはそれで「萌える」という声が多かったのは、良かったのかどうか…(^^;

第7話「繪本-nature-」
 マドラックスとマーガレットのパートを交互に語りながら前半4分の1を終えたエピソードは、ここで若干の変節を迎える。本来ならマドラックスのパートのはずなのに、今回もマーガレットのパートからスタート。そして、マーガレットの依頼を受ける書籍探偵を中継役に、初めてマーガレットとマドラックスのエピソードが1本につながる。前半Aパートでマーガレットの依頼を受けた探偵がBパートでガザッソニカに飛び、マドラックスが護衛に付く、という仕組み。漠然と、かなり最後近くまで二人は出会わずカットバック的描写が続くと考えていたので、とても驚いた。このあたりから、「約束事を作っては壊す」という、油断のならない本作ならではの展開が多くなってくる。

第8話「魂言-soul-」
 メインキャラ最後の一人、クアンジッタが登場。妖艶で色気たっぷりのキャラを演ずるのは、なんと兵頭まこ。押井守作品でおなじみの「少女」キャラに慣れてきた身にすれば、これはかなり衝撃であった。だが実年齢を冷静に考えれば、こちらの方が適任のはず。そしてもう一人の重要キャラ、レティシアが初めてマドラックスの世界とリンクするのもこの回。(ここからネタばれ)これまで、エピソードの途中に唐突に登場しては難解なセリフばかり言ってきたレティシアだが、これで「過去の一場面」などではなく、マドラックスの世界と平行した異世界の住人であることが確定した。それにしても「気を付けテ…アなたがいるのハ普通の端ッこ」という、レティシアのセリフは非常にコワい。

第9話「残香-scent-」
 今回はマーガレットメインのエピソード。前回は丸ごとマドラックスメインのエピソード。また元に戻ったようにも見えるが、冒頭でマドラックスが送り出す仕事仲間のルチアーノが、ナフレスでマーガレットと出会う、という仕掛け。少しずつ、間接的に両者が接近しつつあるのが分かる。マドラックスとマーガレットがいつどこで知り合うのかは、まさしく監督の腕の見せ所。ヴァネッサとマドラックスがすれ違う場面が予告でほのめかされた次回は、重要な1本となりそうだ。

第10話「侵食-dive-」
 いよいよヴァネッサとマドラックスの接触…と思いきや、それがラストシーン(爆)。そんなの予告編で使うなよ。今回は、もっぱらヴァネッサ姉さんメインの動機付けエピソード。ヴァネッサとフライデーの電脳対決なんて、奇特なものが見られるのが今回のキモ。一種ジミーになりがちな電脳対決で、サスペンスの盛り上げ、結果としてヴァネッサがガザッソニカに飛ぶ理由は、なかなかうまい。

第11話「異国-object-」
 で、今度こそ二人の出会い〜と思いきや、いきなり単独行動のヴァネッサ姉さん。マドラックスは、影からひっそりガード。「一体二人はいつ出会うんだ!」とキレかけたのだが、その段階で、すでに真下演出の術中にはまっていることに気付いたのは、このエピソード終了後。そうか、そうきたか…ここまで盛り上げただけの甲斐ある次回にしてほしいところである。もっとも、視聴者の期待を微妙にズラして効果を上げるのが真下演出である。次回も油断はなるまい。

第12話「消息-close-」
 予想以上にかなりねっちりと語り合ってくれる、マドラックスとヴァネッサ。マドラックスの「私は王子様」宣言とか、ヴァネッサの「一緒に寝ましょう」誘いとか、ファンの妄想をかきたてるセリフが満載(笑)。まあ、このへんはサービスだろう。セリフの使い方は、冷静に考えれば、やっぱり少々意地が悪い、という気もするが。それはそれとして、今回の見せ場はリメルダとの1対1の対決。久々に「ヤンマーニ」の鳴り響く中、ガンアクションが楽しめる。あまり作画枚数はかけていないが、ゆるやかなパンやカット割りで、物陰から相手をうかがう二人の緊張感を感じさせる演出力はお見事。今回は「目をつぶって撃つ」行為にもそれなりに意味づけがなされている。いや、私はあまり気にしなくていいと思うけど。

第13話「覚鳴-awake-」
 何よりも「お仲間ですね」とカロッスアにニタッと笑いかけるマー坊の老獪さに愕然。本を奪おうとするナハルに寝たまま脅しをかけるし、視聴者はそろそろ何を信じればいいのか分からなくなってくる。一方で、マドラックスはヴァネッサとイチャイチャ。このあたりから、ヴァネッサとマー坊の役割が、当初予想されたものと逆なのではないかと疑われてくる。ひょっとすると、ヴァネッサがマドラックスの相方で、マーガレットは「ちょっと目立った脇役」ということになってしまうのではないか・・・ちょっと不安がよぎる。いや、それはそれで面白いんだが。

第14話「妄想-memorey」
 例の絵本、例の呪文がマー坊を凶暴にする一方で、マドラックスはその逆。フライデーに、「エルダ・タルータ」を仕掛けられると、思い切り甘えん坊さんになってしまうことが判明。しかし、頼まれてもおらず、戦闘中でもないにもかかわらず、カクテルドレスを着て街に彷徨い出るところは、結構重要かもしれない。カクテルドレスを着たマドラックスがほとんど非現実的な強さを発揮するのは、無垢な腑抜け状態と実は同じことを意味する、ということではないだろうか。独自の約束事に基づいた私たちの世界から切り離されている、という意味において、腑抜けと無敵は実は同じなのかもしれない。それはコインの裏と表という関係性を持つ、実は同じものなのだ。

第15話「偽想-camoflage」
 マドラックスは、自身のトリップの原因を探るために再びトラップデータの分析を試みる。そこで、初めてレティシアと出会う…のだが、会話を交わしたわけではない。ちょっとすれ違っただけのことだ。相変わらず、レティシアと明快に会話をしたのは書籍探偵だけなのである。
 結果としてマドラックスは「仕組まれた内戦」という真実を知るが、これはおそらく、「真実」の最も表層の部分にすぎない。我々の世界の現実からみても納得できる、いかにもありそうな望まれる「真実」。それはおそらく間違ってはいない。だがそれですべてであると早合点すると、重要なものを見落とすことになる。手に入れた証拠を信じた瞬間、それは真実でなくなってしまう。
 これは何かと似ていないか?つまりこの難解な物語の構造そのものだ。視聴者は、回を追うごとに手に入れた情報を分析・法則化し、解釈しようとするが、その前提は常につき崩されていく。それはこの物語が気まぐれで移り気であることを意味するのではなく、視聴者が登場人物たちとまったく同じ情報収集と挫折の繰り返しを追体験していくよう、望まれているということではないだろうか。それは主人公への感情移入という素朴な視聴形態を疑うものであり、新しい表現の可能性を示唆しているようにも思う。メタフィクション、と言い切ってしまうことすら素朴すぎるようにも思えるが、このあたりはまだまだ先を見ていくしかなさそうだ。

第16話「銃韻-moment」
 さてさて、久々に大いに盛り上がった「ヤンマーニ」が鳴り響く中での銃撃戦。ようやくマドラックスは、真下耕一の代弁者フライデー=江原正士と出会う。二人が出会う「戦場」が、いかにも押井守的な「セット」なのはご愛嬌。セットの照明装置を破壊しながら敵と戦うマドラックスのスタイルは、「現実と虚構の混交」という押井スタイルの向こう側に正面突破していこうという真下の決意が感じられる。ちなみにお分かりとは思うが、楽屋落ち的な話をしているわけではない。念のため。
 「現実と虚構」という二分法が人間の意識を表現する上で極めて重要であり、題材として魅力的であることは認めたうえで、その地点にとどまっている限りは見えないものを見定めていこうというのが真下のスタイルだ。
 その点から言うと、今回もマドラックスが着ていたカクテルドレスのデザインが少し変化していたのは象徴的だ。肩紐が首を拘束するようにクロスしていたのである。フライデーが着せたものであり、マドラックスを拘束し自分の望む方向に誘導していこうという暗喩が含まれていたとしても不思議ではない。それを一度脱いでから闘うのだから、フライデーの意図を挫き、すべてをリセットする意味が含まれていた、としても不思議ではない。
 …とまあ、このようにも解釈できてしまうのが、真下演出の不思議である。それがミスリードでないという可能性はどこにもないのだけれど。こういう「幅」を持ち、解釈を受け入れながら進んでいくのが真下の魅力だと思う。

第17話「刹那-reunion」
 いよいよガザッソニカへ向かうことを決意するマー坊一行。…しかし、この回はやはり、海外旅行にもメイド服姿で行くエリノアの不条理さに、目を奪われて、後のことはどうでもよくなってしまう(笑)その様々な「妙な点」を確信犯的な演出のスタイルととるか、演出の矛盾ととるかで、この作品に対する評価は大きく異なってきてしまうだろう。
 だが、注意深く画面を隅々まで注視すれば、真下作品はすべて監督の意図する通りに進行しており、そういう意味での「失敗作」は、真下の場合はまったくない。
 メイド服姿での旅行も、マドラックスのカクテルドレスと同じものととらえれば、何らかのヒントにはなるような気がする。

第18話「双離-duo-」
 いよいよ、二人の遭遇。まさかここまでかかるとは思わなかった。まさしく、この手のドラマでは異例中の異例だろう。しかし、それだけに、このエピソードのラストでのコンタクトに至るまでの道筋を盛り上げていく真下のベテランらしい手腕には本当に感心させられる。ラスト、OPテーマを効果的に使いながら主要登場人物がひとことずつ語りながら切り替わっていくシーンは、いやがおうにも感情の高まりといくぱくかの感慨を抱くほかない。よく考えてみれば、ここまで一度も劇中にOPが使われたことはなかった。それだけに、この演出が実に効くのである…

第19話「獲本-holy-」
 ジャングルの中でもやっぱりメイド服のエリノア…それはさておき、開幕のころの非現実的なまでの強さが影を潜めがちなマドラックス。いわゆる鈴木清純的な演出の華やかさを狙ったアンチ・リアル演出と思い込んできたが、ひょっとしたら、これは伏線ということはないだろうか。自分の過去に疑問が膨らむにつれて、圧倒的な強さがなくなってきたということは、彼女が「真実の場所」から超現実的な力を得ていて、そのせいで目をつぶったまま相手を倒せるほどの能力を獲得している、ということはないか?
 すると、マドラックスが「真実の場所」に近づくに従って、強くなるのか弱くなるのかが、ひとつの目安となりそうだ。

第20話「真争-wish-」
 マドラックスは「資質あるもの」ではない、という設定はやはりすごいと思う。「選ばれたものによって世界が変えられる」という「未知との遭遇」的なエリート意識は、非常に歪んだ不健康な方向に向かいやすい、という思いをずっと抱いてきたからだ。
 しかし「マトモ」な人間が「デンパがかった不健全な組織」を打ち倒す、という、「善良な市民対オウム」めいた構図も、いろいろ複雑なものを無視して突っ走っているようで、どこか釈然としない。そこで、「少しだけ混じっている」マドラックスの登場となるわけだ。
 まるで「デビルマン」だね(笑)もっともこの物語は、どちらが善か悪か、というかそういうことを決めつけるのはナンセンスな設定なのだが。確かにフライデーは、真下作品としては珍しく、非常に「悪役っぽさ」にあふれたキャラクターだ。しかし、何を目指しているのかはさっぱり分からない。目的が分からない悪役なんてあっただろうか?これまた斬新である。つまり、ひょっとしたら、目的が判明した瞬間、「悪役」ではなくなってしまうかもしれないのである。…いや、それはないとは思うが。

第21話「告薄-guilty」第22話「激情-rage-」
 2話一気放映の「まつり」だったので、評もまとめて。前半で「真実の場所」の謎がかなり大きく明かされる。(ネタばれ!注意)マー坊の母が「NOIR」のミレイユであったという、衝撃の事実が(声優が三石琴乃だってだけだって・笑)。
 それはさておき、「真実の場所」の正体が「シュレディンガーの猫の入った箱」である可能性が高くなってきた。死んだはずのブゥベがカロッスアとして大人になっていたりするのは、どうもそのせいではないか。量子力学で提唱されている「シュレディンガーの猫」とは、すなわち「人間が観測するまで事実は確定しない」というスゴいものだ。箱の中に入った猫は、蓋を開けてみない限り、生きている+死んでいる可能性半々のモヤモヤとした幽霊のような状態で存在しているというのである。だから、カロッスアは、扉を開けた瞬間、自分の死を知り、消えてしまう、というわけだ。
 この「扉の内側」として登場する光景で、子供時代のマーガレットとマドラックスは、まったく同じ服を着ている。二人は向かい合って立ち、マドラックスが二人の間にはさまれて立つ「父」を射殺してしまう。これは、もともとマーガレットとマドラックスがもともと同一人物であったということを意味しないか?そして「父を撃った未来」と「父を撃たなかった未来」に分裂して元の世界に戻ったため、二人は記憶を失った(過去の記憶を持ったままでは矛盾が発生する)。「真実の場所」に取り残された「記憶」が、レティシアなのではないか?
 「シュレディンガーの猫」の話に戻ろう。「生きている+死んでいる」の混じりあった状態で猫が存在しているという矛盾(現実にはそんなことはありえないようにみえる)をどう解消するか。一部の物理学者は「人間が何かを選択することで、世界は二つに分裂する」という考え方を打ち出した。SFでおなじみパラレルワールドである。つまり箱の中をのぞけば、「猫が生きている未来」と「猫が死んでいる未来」に分裂するというのである。
 それならば、その二つの世界は、お互いに相手の世界の存在を認識できないはず…常識的にはその通りなのだが、一定の条件がそろうと、二つの世界が、同一の空間の中に共存してしまうことがある、というのである。物理学者たちは本気でそう考えているらしい。それが「真実の場所」なのだろうか?

第23話「迷心-doubt」
 視聴者に衝撃を与えた22話のラスト。猫の話をひっぱりすぎて持ち出せずじまいだったので(笑)、こちらで書くことにする。
 まあ、これは「オタクサービス」に徹するつもりはない、という真下の宣言だろう。レズビアンス的な表現のよいところは、作品に「艶」を与える、というのがまず1点。そして、キスやセックスのような明白な形を取らない限り、「すごく仲がいいだけ」と空とぼけることが可能になる、という点がある。まったくレズに興味のない視聴者ならすっ飛ばしてしまってもいいわけだ。
 もちろんオタク的なレズ全開の解釈をしてもいい。それは作品世界の幅を広げることになる。そういう多様な読み取り方を受け入れるのが真下演出だ。同人誌の4号で詳しく書いている。ただし、その解釈に引きずられて結末を曲げるようなことはない、それは本末転倒だ、というのが真下の職人的意地なのだろう。
 …とはいえ、「お嬢様に会うまでは…」と、マーガレットとの甘美な生活を反芻しながら救出に向かうエリノアの描写を見ていると、「やっぱりオタク受け狙ってる」と思えてしまうのだが。お嬢様に膝枕してあげたり、一緒に風呂に入って髪洗ってあげたり…って、煩悩全開じゃないですか、エリノアさん(^^;

第24話「献心-hearts」
 量子論については、今週から別コーナーを立てるので、ここでは大枠のみ。第21・22話では「考えすぎかもしれない」という疑いもよぎったのだが、今週のヤンマーニアクション(笑)を見て、何らかの形で量子論が取り込まれていることは間違いないと確信した。
 そもそもマドラックスの「能力」とは何なのか。身も蓋もない言い方をしてしまえば「弾避け能力」である。ではなぜマドラックスは弾を避けたり目をつぶったまま相手を倒したりという現実ばなれしたことができるのか。「それぐらい並外れた射撃の名手だから」あるいはもっと言ってしまえば「主人公だから」だという、暴論すら織り込みずみのつもりだった。そういう窮屈なリアリティにとらわれずに、映像美を全面的に展開するのが真下のスタイルだから、と私たちは考えてきた。
 だが、今回に限ってはそれは正解ではないようだ。マドラックスの特殊能力は、それなりに理屈を立てて説明されているのである。その根拠となるのが「量子論」だ。
 「量子論」は、選択によって可能性を分裂させる理論であるということは前回述べた。箱の中の猫が生きているか死んでいるか半々の確率だとすれば、誰かが箱を開けて中を確認するまで、猫は生と死が混ざり合った曖昧な雲のような状態で存在していることになる。誰かが箱を開けた瞬間、「猫が生きている未来」と「猫が死んだ未来」に分裂する。だから、箱を開けた人間が見ることができるのはどちらか片方だけ。普通はどちらかを意識的に選ぶことはできない。だから、カロッスアは自分が撃たれた過去を見てしまい、消滅した。
 だが、分裂する未来のうち、自分に都合の良い方を選ぶことができる能力を持つ人間がいたとしたらどうか?戦場において、「撃たれる可能性」と「撃たれない可能性」があるとして、「撃たれない可能性」の方だけを選択しながら時間軸を進んでいくことができるとすれば、敵からは非現実的なまでに強運に見えるのではないだろうか。自分はいくら狙ってもまったく当たらず、相手は目をつぶって撃った弾でも、こちらに命中してしまう。
 マドラックスは今回、胸元が大きく開いたカクテルドレスを着て決戦に挑む。フライデーに着せられていた首を拘束するタイプのドレスとは対照的で、それだけに戦闘能力も格段にアップしている。どうやら、このドレスには、戦闘能力を高める力があるらしい。
 動きやすそうないつもの服装では、ここまでの力は引き出せない。弾を避けながら突き進んでいくマドラックスのショットと交互に、いつものカーキジャンパー姿のマドラックスが撃たれるシーンがはさみ込まれる場面を思い出してほしい。今回、初めてこのシーンが登場した。これはつまり、マドラックスが「撃たれる可能性」を避けながら進んでいることを意味しているのではないだろうか。
 そんな並外れた能力があるのなら、どうして普段から使わないのか、という突っ込みを入れる向きもあるだろう。しかし、これは戦闘場面以外には使いにくい能力だ。複雑な因果関係と無数の選択肢に、実質何かを選択することは不可能だろう。戦場のような特殊な空間だからこそ「撃たれる」「撃たれない」あるいは「当たる」「当たらない」の両極端の2項目に集約することが可能になるのである。
 そしてこの能力は、自分自身について何らかの疑問を抱いた時に弱まってしまう能力であるらしい。そのため、マドラックスは途中、何度か急に弱くなってしまったのではないだろうか。「ヴァネッサのために」と思い切ることで初めて、能力は回復し、「真実の場所」に近づくに従って強まっていった。
 能力のメカニズムについて完結までに語られる可能性は低そうだが、これはまったくのファンタジーではなく、量子論的に説明可能であることは、触れておこう。

第25話「聖血-saints-」
 さて、ようやくの答え合わせ。おおむね、推測は当たっていたようだ。しかし、それでも、二人が分裂する瞬間は、非常に興味深く見ることができた。ネタ割れしたからといって意味を失うわけではない。それが、真下作品の奥深さだと思う。
 量子論でここまでうまく、不可解な事象のすべてが説明できるところからみて、黒田脚本の初期に何かが書き込まれていたことは間違いなさそうだ。だが実際、真下は量子論については一切触れていない。すべてカットしてしまっているのである。ナレーション嫌いの真下ならさもありなん、である。実際、量子論について触れたら、とんでもない膨大な説明が必要になる。
 ならば、すべて視聴者の解釈に任せるのがよい、というのが真下の信念(たぶん)。マーガレットとマドラックスの分裂について、もっとファンタジーの側面から解釈することも可能だろう。そうした幅広い解釈を受け入れる許容量の大きさも、真下作品の魅力のひとつの側面だ。そのあたりは、放映後に順次発売されるDVDを繰り返し見ながら、じっくり解釈していくことにしたい。まずは最終回だが…さて、黒田が勝つか、真下が勝つか。

第26話「欠片-pupile-」【09/29new!】
 結果は真下の圧勝(笑)。まあ、最初から見えた勝負ではあるが…黒田氏がDVDVol.2の解説書で言っている通り、すべてのスタッフが真下の手の上で踊っているというのが実情だろう。これがこの演出家の百戦錬磨の不思議な徳というやつである。
 やはり量子論はくっきりと説明されることはなかった。おそらく最初の黒田脚本では、最後にフライデーが長々と説明するシーンなどあったのかもしれないが、説明嫌いの真下が認めるはずがない。
 それよりもむしろ、二人の「記憶」にすぎないはずのレティシアが実体化してしまうなど、積極的に量子論的世界観を「破綻」させている。マドラックスとマーガレットが分裂したまま通常世界に戻るところまでは予測できたのだが、レティシアが消えなかったのは心底驚いた。黒田脚本ではおそらく、マドラックスの肩越しに見えていたレティシアの残像がスーッと消えていき、マーガレットが「おかえり」とか言うあたりだったのではないだろうか。あの演出には、そうした痕跡が見られる。
 では、この物語が量子論に基づいた世界観であるという私の推理は間違いなのか。そうではないと思う。量子論をひもとくことで不可解な部分がくっきりと見えてくる表現が多すぎるからだ。これを早とちりのトンデモ解釈と打ち捨てるのは少々もったいないと思う。
 実際、この作品は様々な見方が可能な作品だ。哲学用語を連発した最終盤の展開を足がかりに、哲学的な知識からアプローチすることも可能だろう。私は少々知識不足でムリっぽいが、誰かチャレンジしていただきたいものである。
 実際、どの方面からアプローチしても、どこかに破綻が待ち構えているはずである。これは何を意味するか。作品の多義性・重層性を高めると共に、作品を最初から繰り返し見ることを視聴者に求めるものであろう。
 量子論を足がかりに見定めたのなら、それをもとに、最初から見返して論理を補強し、再構成していけばよい。それこそが、作品世界を果てしなく拡大させる真下の究極意図に沿うものであるはずだから。
 というわけで、DVD版を手がかりに、来週から
「教えて!なぜなにマドラックス-量子論でわかる(?)マドラックスの世界」
始まります。よろしく。


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