第2講「コペンハーゲン解釈の銃夢」


 第1話で展開される、過剰なまでのマドラックスのガンアクション能力。そのあまりの荒唐無稽ぶりに、ミリタリーマニアを中心に激しい非難の大合唱が起きたことは記憶に新しい。

 まあ、真下は銃オタク相手に作品を作っているわけではないだろうし、お門違いの批判、という気はしていた。どちらかというと、大学映研出身者である真下は、日活無国籍アクション、とりわけ鈴木清順の影響を強く受けている可能性が高いことは、これまでこのHPや同人誌などあちこちで述べた。

 しかし、こと今回に限っては違うかもしれない。マドラックス解析日記の第24話「献心-heart」の部分で一応、触れている通り、これもまた量子論で説明可能かもしれないのである。エピソードの中の証拠については、解析日記の方を見てもらうこととして、ここでは、量子論の理論的側面から、分析を進めていこう。

 マドラックスの超絶技巧的な銃さばきは、複数の可能性の中から、自分にとって都合の良い選択肢を選んでいくことで実現可能である。つまり「自分の撃たれる可能性」を回避し、「撃った弾が必ず相手に当たる」可能性を選んでいけばよい。

 量子論の世界において、未来は常にフワフワとした曖昧な可能性である。銃撃戦においても、「撃たれる/撃たれない」あるいは「弾が当たる/当たらない」どちらが該当するかは、本来、当事者の技量と運を掛け合わせた確率でしか記述できない。

 だが、これらの選択肢を意識的に選ぶ能力を持つ人間がいると仮定すると、話はまったく変わってきてしまう。

 あいまいな複数の未来のうち、どれを感知するかは、事象を感知するパルスが脳の中のどの位置で起こるか、という極めて些細な理由で決まる、という説がある。これが、「観測」によって「事実」が決定する、量子論のメカニズムだというのである。

 つまり、脳内で火花が走った瞬間、モヤモヤした重ね合わせになっていた無数の可能性のうち「撃たれて死んだマドラックス」や「弾が体をかすったマドラックス」は消え、「弾をよけたマドラックス」のみが残るのである。

 この説を信じるならば、「観測」によって「事実」が決まるのは人間の特殊能力ということになる。選択肢の決定が人間の脳の内部に特定される以上、特定の人間が選択肢を自在に選ぶ能力を持つことは決して不可能ではない。おそらく、そこには、「真実の場所」が関与しているだろう。マドラックスはそこで生まれたのだから。

 もっとも、これが意味を持つのは、世界が「コペンハーゲン解釈」によって記述されている場合のみだ。マドラックスの世界が「多世界解釈」であったならば、それは、膨大な可能性のごく一部しか人間の脳が知覚できないこと意味するだけのことになってしまう。それに、撃たれて死んだマドラックスもたくさん発生するが、描かれないだけ…というのではちょっとつまらない。

  人間が何かを選択した後の世界は相変わらずひとつなのか、それともどんどん分裂して増殖していくのか。私たちの現実世界でも結論は出ていないが、どちらかというと若干多世界解釈の方が優勢のようである。

 ただ、マドラックスの世界でも、多世界解釈の介入がなければ、このように「なんでもあり」のストーリーとはならなかったであろうことも確かだ。コペンハーゲン解釈の世界に多世界解釈の世界が侵入すると、本当に困惑するほどのオールマイティーな状況となってしまい、分析がひどく難しくなる。

 コペンハーゲン解釈なら起こりえないこと、多世界解釈なら起こりえないことを分析の足場としていきたいところなのに、双方が影響し合っているのでは、何と言っても通りそうなありさまになってしまうのだ。

 もちろん、まったくの無法地帯というわけではないので、ある程度の推量は可能だが、すべては「真実の場所」をどう解釈するかで大きく変わってくる。これはなかなか難しいのだが…次回はそのあたりを考えてみることとしよう。            (2004年10月18日)

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