第3講「量子コンピュータ・コネクション」


 「真実の場所」とは結局何であったのか。これは、同人誌の「MP」5号で詳しく書いたのだが、一応おさらいしておくと、量子コンピュータによるバーチャル空間ということになる。

 古代エリエス文字を作った文明は、人間の脳をコンピュータとして転用し、そこにさまざまな可能性が「重ね合わせ」の状態で存在する仮想空間を作り上げた。私たちの住む世界では、絶対零度など特殊な環境でなら、ほんの一瞬なら複数の可能性を「重ね合わせ」状態で保持することが可能だが、それでもまだ実用にはほど遠い。ましてやこの物語の世界は「コペンハーゲン解釈」が真実なので、仮想空間でしか「多世界解釈」は存在し得ない。

 外部の様々な影響を受けて「重ね合わせ」状態が破れるのを防ぐためには、特殊な環境が必要だ。そのために目をつけられたのが人間の「脳」なのである。

 人間の脳をコンピュータにする利点は他にもある。とりあえず、こう仮定してみよう。人間の脳活動による「観測」が、重ね合わせを壊し、物事は一点に収縮してしまうのだと(これは実際にある仮説である)。だとしたら、逆に言うなら、被験者がバーチャル空間で「観測」したことは、どんなに物理法則に反することでも、そのままそれが「真実」となってしまうことになる。

 以上、長いおさらいだったが、分からなくなったら、ぜひとも同人誌にあたっていただきたい。何しろ実際は非常に長い評論なのである。

 さて、今回はここからが本題である。「真実の場所」が脳内コンピュータの産物だとして、なぜそれが古典コンピュータではなく、量子コンピュータでなければならないのか。同人誌では、MPメンバーの松村氏に問いかけられたが、十分に納得してもらえないままに終っている。そこで、今回はもう少しじっくりと説明してみたい。

 まずひとつには、そうしたデータが非常に膨大なものであることが考えられる。おそらく、エリエスの脳コンピュータは、複数の被験者が同時に参加し、お互いをつなぎ合わせることで処理能力を高めているのであろうと思われる。ことによると、ある一定のエリアにいる人間の脳を強制的に徴用してしまう仕組みなのかもしれない。それならば、偶然迷い込んできたブウペとマーガレットがバーチャル空間に取り込まれてしまった理由も容易に説明がつく。

 ならば別に、十分に容量が大きければ、今我々が使っているような、古典的コンピュータでもよいのではないか…そうお考えになる方もいるだろう。だが、古典コンピュータの処理能力には限界があり、いくら容量を増やしたとしても、あっという間に追いつかなくなる。

 たとえばこう考えてみよう。ひとつのコンピュータの中であるひとつの可能性のシミュレーションをするのは容易だ。しかし2個、3個と可能性を増やしていくと、もとの容量の自乗のペースでぐんぐん処理量が増えていってしまう。

 これに対し量子コンピュータは、複数の可能性を「重ね合わせ」のままで同時に処理できる。たとえば10個の可能性があるとしても、コンピュータは1台でよい。大胆な言い方をすれば、自らの内部に10個のパラレルワールドを作り、それぞれの世界でシミュレーションを重ねて比較検討することができる、それが量子コンピュータなのである。

 さらにもうひとつ。可能性が増えるほど、その膨大な可能性の中から自分が望む正解を見つけ出すことは難しくなる。同人誌の「MP」5号でも述べた「10都市を巡るセールスマンが最短距離を探す」という「セールスマン巡回問題」が、ちょうどこれにあたる。古典コンピュータの場合、1814400通りをひとつずつ、しらみつぶしに検証していかなければならない。

 しかし量子コンピュータでは、すべての可能性が「重ね合わせ」のまま共存しているので、望む可能性に収縮するようにマーキングして観測を行えば、一瞬にして「正解」にたどり着ける可能性があるのである。

 思えば、「マドラックス」の作品世界においては、世界観を支える小道具は、常にどこかのエピソードでクローズアップして使われてきた。大脳生理学については、「カンナビノイドによる記憶封鎖」を取り上げた第9話「魂言」、コンピュータ世界についてはハッキングを扱った第10話「侵触」。すべてのエピソードは複雑に影響し合っている。

 コンピュータについては、当初に考えていたよりももう少し重要な関与が考えられる。ことによると、同人誌で「制作者の先に言ってしまった」と言ったのは間違いで、量子コンピュータもバーチャル空間も、最初から制作者の意識の内にあった可能性がある。これについては、次回お話することにしよう。
(2005年1月14日)

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