第4講「コンピュータと脳のはざまで」


 それでは、前回のお約束通り、量子コンピュータのありかとしての脳の可能性について考えていこう。ちなみに、この議論は非常に難しいものなので、私も完全に理解したという自信がない。ペンローズの量子脳理論については、さらに詳しい文献を読む必要を感じているので、今後、別のテーマの議論をはさみながら、さらに続けていくつもりだ。

 同人誌の第5号では、「真実の場所」を量子コンピュータによるバーチャル世界と規定したのは深読みしすぎかもしれない、と書いたのだが、どうもそうでない可能性が高くなってきた。

 第9話「浸触」で、超高速の並列型コンピュータ「トゥルークラスタ」によるネットハッキングが描かれたことは、前回も触れた。その後、「霧香に叫べ!」のSFさんのアドバイスを受けながら、さらに分析を進めたが、トゥルークラスタ自身が量子コンピュータである可能性は低そうだ。トゥルークラスタはあくまで大容量の古典コンピュータでしかない。

 ただ、そのトゥルークラスタの侵入を簡単に見破り、逆ハッキングをかけてきたフライデーのコンピュータが量子コンピュータである可能性は非常に高い。どこにも説明はされていないが、そうであるならば、これほど圧倒的な能力を誇示するものとしてフライデーのマシンが描かれる理由が立つ、というのはSFさんの意見。私も同感だ。

 「真実の場所」がバーチャル空間である可能性は、何度か見返すと、かなりはっきり描かれているのがわかる。特に最終話、フライデーが撃っても撃っても平然と生き返ってくるシーンは、「.hack」のキャラ死亡シーンさながら。「死んだら再ログインすればいい」だけのことだからだ。マドラックスに追い詰められたフライデーが、慌ててログアウトするとそこは自分のアジトの端末の前で、そこにもマドラックスがいるのを見て驚愕するというシーンで、それはよりはっきりと感じられる。

 そして、「真実の場所」をバーチャル空間と考えた場合にのみ、「お前がここにいるはずがない」というフライデーの驚きの説明がつく。フライデーは忘れているのだ。「真実の場所」にアクセスできるように脳をフォーマットしたということは、厳密な意味でログアウトすることはなくなってしまうということに。人間は脳なしで生きていけない、というか、脳こそが人間そのものだ。自分自身からログアウトするということはありえない。そして、どんなに可能性が低いものでも、自分が見た(つまり観察した)ものが真実となってしまうのである。

 それでは、脳を量子コンピュータとして使う場合、どのようなメカニズムが考えられるか。人間の脳は主にニューロン(神経細胞)で構成されており、ニューロンは他のニューロンに軸索とよばれる腕を伸ばして、お互いに接触し合っている。軸索の先端はシナプスというスイッチ的な仕組みがあって、ここで起きる発火が、脳の記憶や思考の根本なのだと考えられている。

 ニューロンの中には、微小管と呼ばれる、ミクロな管が通っている。これはチューブリンという名の、タンパク質から成る管だ。微小管はアクチンという物質を通して、シナプスの強度に影響を与えることができる。となると、ここは微小管に注目せずばなるまい。

 ここから先は、ペンローズの「心は量子で語れるか」(講談社ブルーバックス)の受け売りだ。周囲から十分に隔離された微小管のような場所では、量子的に重ね合わせられた質量移動が可能になる。あるタイプの干渉性量子的振動が管内部で生じ、脳の広範な領域にもたらされるというのである。詳しいメカニズムは同書を読んでほしいが、つまりここで理解してほしいのは、脳の内部でなら「量子的重ね合わせ」は可能になるということだ。

 前回も少し触れたが、私たちの現実世界での量子コンピュータ開発は、現在大きな難関に乗り上げている。「量子的重ね合わせ」の状態を、実用的な計算ができるほど長く保つことができないのである。だが、脳の中ならば?量子コンピュータはすでに現実のものである可能性は十分にある。ペンローズは量子的重ね合わせの続く時間について、何と「1秒くらいのオーダー」と答えている。これは、計算には十分すぎる時間であるといえよう。

 なるほど、脳を量子コンピュータとして使うことは可能かもしれない。しかしそうすると、フライデーの使っていたいかにも端末的な機械は何なのか?と疑問を持たれる方も多いだろう。

 私は、バックアップ的な機能を持つコンピュータであると考える。エリエス文字の本が三冊ともあれば、古典コンピュータの助けなしでも「真実の場所」にアクセスできるのだろう。だが、フライデーが持っていたのは、「ファースタリ」の一冊のみ。古典コンピュータの助けを借りても、非常に限定的な効果しかあげられなかったはずだ。その「限定的な効果」とは…たぶん「ガザッソニカの内戦」だったものではないか?おそらく、それほど的外れではないと思う。
(2005年2月23日)

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